
時代とともに揺れ、問い続けてきた
ガーデン・エクステリア50年の記憶
今日は、ガーデン・エクステリアの流行を振り返ってみましょう。
単に、門扉の形が変わったり、レンガの色味が変わったりといった「デザインの変遷」をなぞるだけのことではありません。
庭という場所は、その時代に日本で暮らしてきた私たちが、何を大切にし、何を手放し、そして心の奥底でどんな「豊かさ」を渇望してきたのかを映し出す鏡のようなものです。
ある時は家族の成功を象徴する「顔」として。またある時は、自分自身を取り戻すための「聖域」として。いつの時代も私たちの価値観や、暮らしへの想いを映し出してきました。
物質的な充足から、心の平穏へ。
このコラムでは、ガーデン・エクステリアの50年の記憶を紐解きます。それは同時に、あなた自身の歩みと、これから描きたい「幸せの景色」を見つめ直す時間になるかもしれません。

高度経済成長の”憧れ”と”華やぎ”の時代。
成功の象徴から、暮らしの舞台へ。
■1970年代
約50年前、高度経済成長の中で住宅地が次々と生まれた時代。庭は「持てること」そのものに価値がありました。
立派な門構えや整えられた植栽は、家族の安定や成功を象徴し、庭は完成された家の一部として存在していました。そこには迷いのない、はっきりとした「正解」があったと言えるでしょう。
実は、私たち『タケウチ』が創業したのがこの時期です。以来、私たちは、数えきれないほどのご家族の物語を、庭という背景から見つめ続けています。
■1980年代
やがて80年代、経済の高揚とともに暮らしは華やぎます。
海外文化が一気に流れ込み、庭にも分かりやすい「西洋の豊かさ」が求められました。「レンガ造り」や「南欧風」のスタイルが流行し、憧れのウッドデッキが登場したのもこの頃。庭は単なる家の外まわりではなく、暮らしを彩る華やかな「舞台」として脚光を浴びたのです。
■1990年代
しかし90年代、バブル経済の崩壊と共にその熱は急速に形を変えます。
不安定な空気の中、庭は「なくても困らないもの」と見なされることもあり、豪華な外構は影を潜めました。
一方で、「イングリッシュガーデン」や「ガーデニング」という言葉が爆発的に流行した時期(1997年頃の新語・流行語大賞など)でもあります。
「外構にお金をかける贅沢」は減りましたが、「自分で花を植えて慈しむ」という心の豊かさを求めた時代でもあったのかもしれません。
■2000年代
2000年代に入ると、社会の緊張感は別の形で現れます。
防犯意識の高まりとともに、庭は「家族を守る機能」として、家づくりの中で再び意味を持ち始めました。
重視されたのは、防犯やプライバシー確保。楽しむためというより、家族を守るための機能として。
この時期は、塀で囲わない『オープン外構』から、防犯を意識した『セミクローズ・クローズ外構』への回帰や、逆に「見通しを良くすることで防犯する」という考え方が混在し始めた時期です。

激動が教えてくれた
「精神的なライフライン」としての庭。
転機が訪れたのは2010年代。
私たちの当たり前の日常を揺るがす出来事が相次ぎました。
この10年余りは単なる流行の変遷ではなく、「日々の暮らしがいかに脆いか」を突きつけられた歳月でした。
東日本大震災をはじめ、九州でも熊本地震や九州北部豪雨など、甚大な被害を持たらした自然災害は、庭や外構に「防災・減災」という切実な視点をもたらしました。
エクステリアには「意匠」だけでなく「防災・減災」の視点が強く加わりました。フェンスの耐風圧性能や、ブロック塀の倒壊に対する安全性などが~されています。
そして2020年、追い打ちをかけるように世界を襲ったコロナ禍。
「外に出られない」「人に会えない」という非日常の中で、私たちはかつてないほど、自宅の数平方メートルの地面を愛おしく、そして切実に求めたのではないでしょうか。
「せめて庭でなら、久しぶりに友人と食卓を囲めるかもしれない」
「ずっと家の中にいて気が滅入ってしまうから、BBQができるデッキがほしい」
「せめて子供たちを、太陽の下で思い切り遊ばせてあげたい」
あの時、ガーデン・エクステリアに寄せられた期待は、もはや流行や見栄えなどではありませんでした。それは、閉塞感に押しつぶされそうな日常の中で、「息ができる場所」を確保するための、必死の願いだったように思います。
庭は、暮らしを支え、心をかろうじて繋ぎ止める「精神的なライフライン」へと進化したのです。
「おうちキャンプ」「ベランピング」といった言葉が定着したのもこの時期です。

現在、「意味のある選択」を。
そして現在。
私たちは、私たちは物価の高騰や不透明な未来という、厳しい時代を生きています。けれど、あの激動の時期に気づいた「庭で過ごす時間の尊さ」を、私たちはもう忘れることはできません。
SNSの普及が私たちの意識を変えました。
「どんな家に住むか」以上に「どんな時間を過ごすか」が大切になった今、庭でコーヒーを飲み、季節の風を感じるような「余白の心地よさ」が見直されています。
派手さは要らない。けれど、ただ我慢するだけの暮らしにも戻りたくない。自分たちの人生に本当の豊かさをもたらしてくれる、意味のあるものだけを厳選したい。そんな意識の変化の中で、改めてガーデン・エクステリアが問い直されています。
「この庭は、私たちの人生に何をもたらすのか」「この場所で、誰と、どんな記憶を刻んでいきたいのか」と。

人生の背景として、
静かに寄り添う「器」。
振り返れば、日本のガーデン・エクステリアが歩んだ50年は、時代の波に揉まれながらも、常に私たちの「生き方」のすぐそばにありました。
その歩みのそばには、流行に惑わされることなく、庭がもたらす「暮らしの豊かさ」を見つめ続けてきた、私たち担い手たちの時間も確かに重なっています。
今、私たちが大切にすべきなのは、ただ新しさを追いかけることではありません。
暮らしの速度を少しゆるめ、季節の移ろいに気付き、自分自身と飾らずに向き合える場所をどう作るか。
ガーデン・エクステリアは、そうしたかけがえのない時間を受け止める「器」であり、人生という物語を支える背景であってほしいと願うのです。
50年という長い歳月を経て、ようやく私たちはその本質に立ち返りつつあります。
庭は、見せびらかすための贅沢品でも、一過性の流行を追う装置でもありません。
暮らしの中に、確かな豊かさを根づかせるための場所です。
その価値を信じ、この場所でどんな時間を紡いでいくかを問い続けること。
それこそが、これからの時代に私たちガーデン・エクステリアの担い手に求められているのだと、私たちは考えています。
企画・編集:若柳・黒木

庭と暮らしのジャーナル
暮らしの中の小さな気付きやヒントを綴る読みものシリーズ【庭と暮らしのジャーナル】。庭や緑を入口に、“暮らす”ということを丁寧に見つめる時間をお届けします。
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