
美術や宗教から探る、
日本と西洋の庭づくりの歴史。
私たちがふとした瞬間に、窓の外の緑や移ろう光を「心地いい」と感じる理由――。その答えは、古くから受け継がれてきた日本独自の自然観の中に隠されているようです。
今回は、西洋との対比を通して、日本の庭がどのような歴史を辿ってきたのかを紐解いてみましょう。自然との付き合い方のルーツを知ることで、今の暮らしがもっと愛おしく、豊かなものに感じられるはずです。

桂離宮(京都)
「自然を治める」西洋と、
「自然と調和する」日本。
まず興味深いのが、日本と西洋の「自然に対する捉え方」の違い。
西洋の自然観は、歴史的に見ると、キリスト教の世界観と深く結びついています。
キリスト教において、人間は神から「自然を治める」という役割を託された存在。人間は自然や動物よりも上位にあり、世界を管理する権限を持つという「人間中心主義」の歴史があります。
一方、日本の自然観のキーワードは、「共生」「共存」「調和」など。
「自然と共に生きる」「自然と調和する」という感覚は、私たち日本人にとっては当たり前のようにも思える考え方ですが、実は世界的、とりわけキリスト教文化圏においてみれば非常にユニークな感性なのをご存じでしょうか。
私たち日本人の先祖は、雄大な山々や海などに神を見出し、ときに災害をもたらす自然の猛威に対して、畏敬の念を持って暮らしてきました。
豊かな四季の恵みを享受する一方で、地震や台風などの逃れられない天災も受け入れてきた歴史。そこから、「自然の中で生かされている」という価値観が育まれたのです。
ご神木やご神岩、さらにお米一粒にまで神が宿ると考える「八百万(やおよろず)の神」の思想は、まさにその象徴と言えるでしょう。
「自然は治める対象」と考えてきた西洋と、「人間も自然の一部」と考える日本。この感性の違いが、庭づくりの形にも表れてくるのです。

ヴェルサイユ宮殿の平面幾何学式庭園
庭づくりに現れる、
自然の捉え方の違い。
西洋の庭、特にフランスのヴェルサイユ宮殿に代表される『幾何学式庭園』を思い浮かべてみてください。
樹木は完璧な円錐形や立方体に刈り込まれ、左右対称に整然と配置されています。
バロック時代の庭園にとってそれは、人間の知性が自然を征服し、管理下に置いた証。自然をコントロールできることこそが、当時の権力の象徴でもあったのです。
そんな整形式庭園から、18世紀以降、自然を愛でる『イングリッシュガーデン』のような自然庭園へとブームが移ります。
科学が進歩し、自然が『恐ろしい未知のもの』から、『理解し、楽しむもの』へと変わったことで、貴族たちもようやく自然の中で余暇を謳歌し始めたのです。

枯山水の庭(京都/龍安寺)
対照的に、日本の庭は自然を尊ぶことから始まります。平安時代の寝殿造の庭や、のちの『枯山水』は、自然を支配するのではなく、そのエッセンスを凝縮して家の中に招き入れる手法です。
あえて左右非対称(アシンメトリー)に配置することで、計算された不均一さの中に美を見出す。これこそが、日本人が大切にしてきた美学なのです。
もうひとつ、日本の庭づくりにおける大切な感性に「借景(しゃっけい)」という考え方があります。
遠くに見える山や空、近隣の緑までもを、庭の一部としてお借りする。
これは「世界を所有し、支配する」のではなく、「境界線を曖昧にし、世界と繋がる」という日本らしい贅沢な知恵。限られたスペースの中に無限の広がりを感じるための、なんとも奥ゆかしい手法だと思いませんか?
また、時間の捉え方にも大きな違いがあります。
西洋の整形式庭園は、完成した瞬間が最も美しく、その形を維持することに重きを置きます。
一方で、日本の庭は経年変化を愛でます。
石に苔がむし、木々が枝を伸ばし、季節が巡るごとに表情を変えていく。その移ろいや老いさえも、味わい深い美として受け入れるのです。

境界線を曖昧にして、
内と外をつなげる。
日本の住宅文化を語る上で欠かせないのが、庭と室内つなぐ『境界線』の曖昧さです。その象徴が『縁側』という存在ですね。
石やレンガを積み上げる西洋の住まいは、厚い壁で内と外を明確に遮断します。
しかし、木と紙で作られる日本家屋は違います。障子を開け放てば、庭の緑が風とともに室内へ溶け込み、軒下という中間領域が、家の中と外をゆるやかにつなぎます。
古い屏風やふすま絵も、実は室内と外の風景を調和させるための仕掛けのひとつ。ふすまをすべて開け放つと、畳の先に庭園が広がり、室内と庭が一体化した大空間が生まれます。

京都/龍安寺
ふすまに描かれるのは、松や波、四季を告げる花や鳥。これらが実際の庭園の風景と調和し、視覚的な奥行きを作り出します。 畳に座って庭を眺めたとき、庭の景色がそのまま室内にまで続いているように見せるための演出なのです。
ふすま絵には西洋絵画のような陰影や影が描かれていません。移ろう自然の光をそのまま受け入れるための計算なのですね。
内と外の境界線を曖昧にして共生するという日本独自の文化は、現代の私たちがテラスやベランダに求める開放感のルーツとも言えるでしょう。
やがて明治から大正へ。西洋文化の流入とともに、それまで特権階級の鑑賞物だった庭が、一般市民へ広がり、『使うもの』へと変化を遂げます。
西洋式のバラ園への憧れや、洗濯物を干したり菜園を作ったりという実利が混ざり合い、日本独自の生活感のある庭が定着していきました。
昭和の高度経済成長期を経て、限られた敷地の中で自然を楽しもうと工夫を重ねてきたことで、現代に続く都市型の庭のスタイルが確立されていったのです。

施工事例:H様邸(福岡県)
現代の私たちが庭に求めるもの。
現代を生きる私たちの暮らしにおいて、庭の役割はさらに多様化しています。
最近では、機能的なウッドデッキやタイルデッキを設けて『アウトドアリビング』として活用するスタイルも人気。これは、かつての縁側文化が形を変えて現代に蘇った姿とも言えます。
西洋のような壮大な造形美も素敵ですが、私たちが無意識に惹かれるのは、やはり雨に濡れた葉のみずみずしい輝きや、夕暮れ時に影が畳に落ちる瞬間ではないでしょうか。
庭の歴史をひも解いて見えてくるのは、そこが単なる『敷地の余白』ではなく、私たちの暮らしにゆとりと季節を呼び込むための、この上なく贅沢な場所であるということです。
窓の向こうにある歴史の重なりに、少しだけ想いを馳せてみる。そんな時間は、きっと皆さんの日常を、より深く、豊かなものにしてくれるはずです。
企画・編集:黒木

庭と暮らしのジャーナル
暮らしの中の小さな気付きやヒントを綴る読みものシリーズ【庭と暮らしのジャーナル】。庭や緑を入口に、“暮らす”ということを丁寧に見つめる時間をお届けします。
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